毎日のように謝っていた時期があります。
思い出すと今でも涙が出ます。
息子が保育園から小学校高学年に入るまでのころ。

本人は、「悪口を言われた」、「叩かれた」から
「言い返した」「叩いた」「蹴った」ということも、
相手にしてみれば悪口ではなかったり、
わざとでなくちょっと当たっただけだったりとのことで・・・

何かが壊れれば自分のせいにされる、
イヤなことを言われて教室を飛び出したら怒られる、
やり返しただけなのに自分だけ叱られる、
などというのが息子の言い分でしたが、
謝るしかできませんでした。
授業参観や懇談会もとても窮屈な思いで、
うまく集団行動に参加できない息子のことを
悲しい思いで見ていました。
その期間の息子を例えるなら、
檻に入れられた野生の動物です。

それでも仲良しの子が一人でき、
年々集団活動にも参加できるようになりました。
スクールカウンセラーの先生からも大丈夫と言われ、
周りより成長が遅くても何とかなるのではと思っていたのですが、
そんな矢先に転校。
大荒れに荒れて、泣く泣く新しい学校に通いだしたものの、
 教室に入れない、
 席につけない、
 給食が食べられない、
 着替えられない・・・

転校生だとちょっかいをかけてきた子と
取っ組み合いのケンカにも発展してしまい、
担任の勧めで児童相談所に相談、受診となりました。

話は飛びまして、
そんな状況を経て今がある訳なのですが、
そのぐちゃぐちゃした時期を経て学んだことを伝えることで、
負わなくてもいい傷を負わずに済む人が増えるのならと思い、
書いてみることにしました。
お母さんの方も人とのコミュニケーションが苦手で・・・
という方が多いことも重々承知していますが、
起きてしまったトラブルの対応に比べたら、
やる価値はあります。

題して、「転ばぬ先の理解」です。

何も起こっていない時に、
子どもの特性について伝えておくのです。
診断名なんて、まだまだ理解の足りない世の中、
出す必要はありません。

「集団行動が苦手で」
「人に触られたり見られたりするのが嫌で」
「音に敏感ですぐうるさがって」
「字を書くのが苦手でお手紙もらってもなかなか返事が」
などなど具体的なことを

登下校時に一緒になった子、遊びに来た子に
授業参観・懇談会・運動会など学校行事の時にクラスの保護者に
地道に伝え続けていくのです。

先日、娘が集合写真を撮る機会があり、
顔を覆っていた髪の毛を担任の先生がはらおうとしました。
娘は嫌がりまた顔を覆いました。

すると一人の子が
「先生、〇〇ちゃんは写真を撮られるのが嫌なんだよ」
と教えてくれたそうです。
先生も無理に髪をはらわず、
写真に入ってくれるだけでいいよ
としてくれたそうです。
娘も、「嫌だけとちゃんと写った」と話していました。
(まるでホラーな感じでしたが・・・)

これが理解のない場合だと、
先生が髪をはらって顔をちゃんと写るようにさせようとする
→嫌なのでできない
→待っているみんなもイライラする
→先生もイライラして無理に髪をはらおうとする
→娘がパニックになって泣いて暴れる
→写真撮影ができないで終わる
という最悪の事態も考えられます。

そんな理解の積み重ね、だけではありませんが、
中学生の息子は一通り皆と同じように過ごすことが
耐えられないほどではなくなり、むしろ楽しめることも増えました。

小学生の娘はまだまだ途上ですが、
「できないことがあってもダメではない」こと、
「できることで役に立てばよい」ことを知っています。

理解してもらうだけで、大きなトラブルは小さく、
小さなトラブルは起こらなくすることができます。
起きてしまったトラブルの対応は大変です。
互いに心に傷を作ってしまうと、元の状態には戻せません。
上辺の関係は修復しても、傷は残ります。

さて、ここまで話すとよく質問されるのですが、
具体的にどう話を切り出したらよいのかということ。

まずは話す相手を定め、そこの子とのエピソードを思い起こします。
普段どれだけ子どもからリサーチしておくかが大切です。
「こんにちは。
こないだ〇〇くんが〇〇してくれたって話してました~。
いつもありがとうございます。
もう、うちはぶっきらぼうな子なのですみません。
迷惑かけているんじゃないかと思うんですけど。
何かあったら教えてください。
これからもよろしくお願いします。」
のような流れで、相手に感謝を伝えて、
いたらない点を詫びておきます。

懇談会や茶話会などで順番に話す機会がある時は、
「いつもお世話になっています。 などに続き
 〇〇なところがあるので、ご迷惑をおかけしていると思いますが
 どうぞよろしくお願いします」
などと話すと、他もつられて「うちはこうですが・・・」など
いい流れもできたりしますよ。

色んなお母さんたちと話して思うことは、
「どんな人か分からないと悪く想像しがちである」ということです。
参観日や懇談会に来ていないと、
「子どもに関心がない」「放任主義」、
お母さん方と話さないと
「愛想がない」「礼儀がない」と
勝手に思われがちです。
実際は、
「子どもが迷惑かけているのに気安く話しかけられない」
と悩んでいたりするのをわたしは知っていますが。

以前はわたしも針のむしろにいる気分でしたが、
今は理解のあるお母さんたちにも恵まれて、
「〇〇ちゃんが〇〇できてた~」
って親のわたしより先に泣いてくれたりもしますよ。
「見方が変われば、味方が増える。」って、
押切もえさんが言われていましたね。
わたしも、向かうところ敵ばかりだと思っていましたが、
世の中捨てたものではありませんよ。

対学校についてはまた改めて書きたいと思いますが、
敵対からは何も生まれません。
同じ悔しい思いをするのなら、
生産的な方向へ歩み出しませんか?
転ばぬ先の理解を!

転ばぬ先の理解

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転ばぬ先の理解” への4件のフィードバック

  1. 私にも降りかかってくるかもしれない現実…怖い、どうしようという気持ちで読みました。
    実際に経験してこられたsonoさんのお言葉をリアルに感じました。診断名はわざわざ言わず、特性を周りに伝えていく、なるほどです。伝え方までアドバイスして下さるなんて、生の声が聞ける私は幸せ者だと思います。これからの私の
    心持ちに必ず役立つと思います_(._.)_

    1. 3391さん、恐怖心を煽ってしまってすみません(^^ゞ
      が、少しでもお役にたてたらと思います。
      子どもに直接傷つく言葉をかける大人もいたので、周りへの配慮は子どもへの配慮に負けず劣らず大切です。

  2. 転ばぬ先の理解の一助として、子どものクラスメートやお友達に、母から積極的にコミュニケーションをとるというのも大切にしたいと考えています。
    学校や町で顔をあわせたときに、「いつも助けてくれてありがとう!」「このまえは、迷惑かけたそうでごめんね。」「何かあったら教えてね。」
    と気持ちを伝えています。
    普段から挨拶や声かけをしていたら、顔を覚えてくれたお友達のほうから「〇〇くん頑張ってたよ。」とか「先生に注意されてたよ。」という話も聞くことができます。
    そんなことを教えてくれるお友達のことを、ありがたいなぁと感じ、嬉しくなります。
    そういえば、通級していた教室の先生が、「親が、子どもの友達と仲良くなっていることが、いじめやからかいの抑止力になりうる・・」というようなことを言っておられたと思います。

    1. azukiさん、そうですね。
      日常で支援者となってくれるかもしれない友だちには、会う機会毎に声掛けをすること、友だちのことを把握しておくことは大切ですね。
      うちに遊びに来ていた子どもたちの中には、母であるわたしまで友だちのように思ってくれている子もいました。
      いじめやからかいの抑止力にもなるのなら、親のことをよい印象で「知っている」ということが、子どもへの印象にもつながるのかもしれませんね。

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